タイトルがフランス料理名みたいですね。
はい、ふざけてないで本題に入ります。
推しは神様じゃありません。
神様キャラとかそういう、設定の話はちょっと横に置いといて。
尊さに思わず「神かよ」と口走ることはあっても、神格化はしすぎないようにしています。
恋をすると人の脳はチンパンジー並になるらしいです。たとえ恋ではなくても熱が行き過ぎると、知能は下がるのかもしれません。盲信すると周りが見えなくなりがちです。
それが自分自身のことであっても。
私はこれまでずっと、推しを軸に生きてきたと思うのです。
自分自身の好きなものは、フワフワと宙に浮いていました。あるにはあっても、しっかり自覚できてないんです。
好きな食べ物、お菓子、飲み物、色、場所、音楽…全て、推し基準。
これが一概に悪いかというと、そうではないと思います。
例えば、自分のことは嫌いでも、「推しを好きな自分は好き」という場合があります。かつての私がそうでした。
推し概念も好きなので、推しの好きな飲み物を買ったり、イメージカラーに目がいったりなどは、今でも自然とします。
ただそうして楽しむにしても、自分をしっかり持っていた方が、推しに依存しすぎるのを防げると思うのです。
推しを軸に自分がいるのではなくて、自分の軸に推しを添えるような。
そんな風に過ごしたいと、今は思っています。