アラサー女子の推し事情

推しと共に、生きていく。

自分の軸に推しを添えて

 

タイトルがフランス料理名みたいですね。

はい、ふざけてないで本題に入ります。

 

推しは神様じゃありません。

神様キャラとかそういう、設定の話はちょっと横に置いといて。

尊さに思わず「神かよ」と口走ることはあっても、神格化はしすぎないようにしています。

恋をすると人の脳はチンパンジー並になるらしいです。たとえ恋ではなくても熱が行き過ぎると、知能は下がるのかもしれません。盲信すると周りが見えなくなりがちです。

それが自分自身のことであっても。

 

私はこれまでずっと、推しを軸に生きてきたと思うのです。

自分自身の好きなものは、フワフワと宙に浮いていました。あるにはあっても、しっかり自覚できてないんです。

好きな食べ物、お菓子、飲み物、色、場所、音楽…全て、推し基準。

これが一概に悪いかというと、そうではないと思います。

例えば、自分のことは嫌いでも、「推しを好きな自分は好き」という場合があります。かつての私がそうでした。

推し概念も好きなので、推しの好きな飲み物を買ったり、イメージカラーに目がいったりなどは、今でも自然とします。

ただそうして楽しむにしても、自分をしっかり持っていた方が、推しに依存しすぎるのを防げると思うのです。

推しを軸に自分がいるのではなくて、自分の軸に推しを添えるような。

そんな風に過ごしたいと、今は思っています。